シェフと主婦と、時々素人

~シェアハウス「照葉舎」の日々~

わたしもコロッケを作るようになった。

 

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首を垂れた稲穂、ふわふわと群れる赤とんぼ、今年はよくいただく葡萄。

 

朝、寒さで起きる日もふえてきた。秋だな。

 

夏が恋しい、とまだ思ってしまうのは、沖縄で生まれ育ったからだろうか。

それとも

 

 

…な~んて、思いふける今日はひとり飯なのです。

同居人が今日から3連休の間は帰省なのです。

 

「もう1人暮らしできんわ~、だって誰かと食べるご飯が当たり前になって、1人でご飯食べるの寂しいもん」

 

とか本気で言うのに、寂しさ感じながらも1人でご飯食べれちゃう。

言ってることとやってることが裏腹

なんて冷たいこと言っちゃ、元も子もない。身も蓋もない。

 

建前でもなんでもなく本音なんだけどね、これは生命維持能力かね。

人間ってすごいな。いろいろと。

 

 

今日のご飯はコロッケでした。

昨日、私がどうしても重めのものが食べたくて、じゃがいもがたくさんあるからって「コロッケつくろう!」となった。

10個くらいつくって、今日の分だと2つだけ揚げずに残しておいたものが、タッパーに入って冷蔵庫に。

昨日は、同居人が帰省しちゃうことをすっかり忘れてて、残しておいたんだよね。

 

昨日使った、フライパンに薄めに注がれた油を温めて

揚げていない白いパン粉のコロッケを見ながら

「パン粉を入れてすぐにジュ~ッと揚がりはじめたら、コロッケの入れ時」

と同居人が教えてくれたことを思い出す。

 

白いコロッケを油にそっとおくと、ジュ~ッと、おいしくなる音がする。

油の量は揚げ焼きのつもりだから、コロッケの下半分が浸るくらい。揚げ出してから3分くらいかな、コロッケを横から見てちょうど真ん中もきつね色になってきた。油が跳ねないようにフライ返しでそっとひっくり返す。また、ジュ~ッ。あぁもう絶対おいしい。

ひっくり返した後は意外と時間は短くて、1分くらい。

お皿にキッチンペーパーを引いて、きつね色になってちょっと焦げ目もあるコロッケをペーパーの上にあげる。

 

昨日と同じ手順を踏みながら、今日のご飯も揚げたてのコロッケ。

1人暮らしをしていた時は「1人でいる時は絶対自分じゃ揚げ物やらねぇ」と決めていた。

...やっちゃってるよわたし。

わたしもコロッケを作るようになったか。

1人で揚げ物するようになったか。

 

 

でもこれはきっとシェアハウスだから。誰かと住んでいるから。

自分1人で暮らしている時にはやらないことの、一緒に住んでいる人が、美味しさ・楽しさ・面白さを教えてくれる。

やったこともないことが、時々誰かを喜ばせることを、自分が知る。

 

照葉舎のコンセプトは、

 

住人が周りと豊かな生活をつくり、お裾分けしあう場所

 

で、しっくりきすぎてびっくりする。

と同時に、私たちのつくったコンセプトは、少なくとも自分がシェアハウスに求めるこういう空気感や物事だということ。

住人が入れ替わるたびに変わるかもしれないけど、なかなかに素敵なスタートラインを引けたと思う。うんうん。

 

こういうのがシェアハウスの醍醐味なんだろうな。

だからもう1人暮らしできんわ~、とまた思うのです。

 

 

コロッケ、おいしかった。晩ご飯、コロッケしか食べてない。

料理における味見担当が1人で暮らすとこうなりがちだよね。

ちなみに、次の揚げ物の予定は未定です☆

 

お金は愛、なのだ、なのです、らしいのです。

 今日は、一緒に同居人といい話ができた。

 「シェアハウスに住む」ことを通して、気づいたことや感じたことを書き残しておきたい。

 と思って衝動的に立ち上げたブログ。笑

 

 照葉舎に住んでいる今の自分、将来の住人への備忘録として。

 近いことを考えていたこの世界の誰かにとって、少し役立つかもしれない掲示板として。

 

 きっと、いや絶対、不定期です。

 

***

 

 今日話していたのは、「お金をいただくこと」について。

 

 わたしの住んでいる照葉舎は、岡山県西粟倉村にあるシェアハウス。

 もともと住んでいた方が自分のためにデザインされたお家で、いろんなところに工夫と遊び心がある。

 その方の趣味だったたくさんの植木や、手作りのランプシェード、薪ストーブなどなど、素敵なものをたくさん残していってくださった。

 (そのうち、照葉舎がどんなお家なのか、言葉にしてみたいと思う)

 

 時々人が遊びにきてくれて、映画を見たり、庭を見てくつろいでくれたりする。

 そういう画がわたしはとても好き。

 

 先日、会社のメンバーと友人が照葉舎を見に来てくれた。

 「さいこーじゃん!!!」

 と言って玄関から、リビング、ゲストルーム、2階の吹き抜けの廊下まで見て、とってもテンションがあがってた。

 自分の家が褒められるのも好き。

 

 一通り、家の中を見終わったあと、リビングでお茶をすることに。

 お茶とコーヒー、それにお菓子を少しお出しして30分くらいまったりタイムでした。

 その中の1人が

 

 「ちゃんとお金払うから、言ってね」 

 

 と。

 

 さて、やっと本題です。

 

 まずは、そう言ってくださって、ありがとうございますーーー!!!!

 そのくらいの価値を感じてもらえているんだな!嬉しい!励みになる!何の励みかはわからんけど!

 

 と、喜びも冷めやらぬままなのに並行して、私たちは悩み始めるのです。

 理由は3つ。

 1.お金をもらうほどのことではないと思っているから

 2.でも、このシェアハウスで稼げるようになったら面白いと前々から言っていたから

 3.「お金は愛」と、受け取ること・渡すことに慣れていきたいと思っているから

 

 つまり、「お金いただきたいんだけど、これでいただいていいのか?いただきたいんだけどどうやって金額決めるんだよ?」

 

 って悩んだわけです。

 

 モヤモヤ考えながらしゃべりながら見えてきた。

 「『お金をいただく』ことで完結する」と、抵抗感がある。

 

 それは、

 ①自分の価値がわかっていないから表せない

 ②自分の価値を決めきりたくない

 と思うからきっと抵抗しているんだと、仮定しました。

 

 けどさらにモヤモヤ考える。

 ①→たまに、価値を提示してくれる人がいる。もしくは「いくらくらいなら払える?」と聞いてみる。そうすると、ありがたいことに基準ができる。

 ②→でも、とりあえず決めなきゃ、一生同じことでモヤモヤするよ?決めてアップデートしてこ?

 

 うんうん。特に①は貴重な機会。活かしたいよね!

 

 で、ちょっと気づく。

 

 「『お金をいただく』ことまでじゃなくて、『いただいたお金でさらに良いサービスを提供できる』こと」を考えると素直に受け取れる気がする...!

 

 と思えただけで、意外と簡単に、お金をいただく決意は固まったのでした。

 決まったら、あれこれ、価値と値段と今後のことを考えるのも楽しい^^

 どこかのシェアハウスやフリースペースに勉強にも行きたくなる🐾

 

 何かに抵抗のある状態に気づいていたら、ちょっとずつ抵抗を無くすこと、自分が変わることに慣れていきたい。

 そしたら今はできないことができるようになって、毎日がもっと楽しくなっていくんだと思うから。